1050キロの旅 大船渡 その1

romeo mamma

2012年06月12日 23:06


2012年5月28日大船渡へ行ってきました。
逢いたかった人の内の一人佐藤さんに会うためです。

















お会いする前に市内を走ってみました。

一見すると機能している町が向こうにあるように見えます。

















しかし・・・
Aの所がマイヤ(ショッピングセンターかな?)
この反対側に大船渡駅があり、この辺りには商業施設・宿泊施設・魚市場などあって賑わっていたようです。
この辺りに駅があったことも、賑わっていた様子を想像すること、難しかったです。

















B.大船渡信用金庫の後ろの様子と前からの様子

 
















中の金庫の扉もなにもありませんでした。 
どれだけ強い力がかかったのか・・・


 















Cの大船渡プラザホテル!  リフォ-ムして営業再開していました。
他にも再開しているホテルがあり宿泊客の車もありました。

















瓦礫も排除されており、人も歩いていません。すれ違うは工事関係の車。
コンクリートの外側が残っているビルはあるのですが、昔の様子を想像できません。

































「あっ かもめの卵 だ!」工場ここにあったのか。。。 お腹に穴のあいた状態で建物だけは、まだ残っていました。
別の所で工場は再開しており、懐かしい「かもめの卵」はゲットすることできました。
他のお菓子屋さんも再開していました。フレ~フレ~

ただね、道路脇の土嚢袋が気になる。満潮の時は水が来るのかしら?















対岸に瓦礫置き場が見えます。
海の近くの人はすぐ逃げたけど、海から少し離れた所に家がある人は逃げなかった人が多かった・・・らしい。
まさかチリ地震より大きな津波なんて思わなかったでしょうね。
犠牲となった人はそんな場所の人が多かったと言う事です。

















お会いした佐藤健さんの診療所は港の近くにあったそうです。
あの日、大きな揺れのすぐ後にご夫妻はすぐに車で逃げたそうです。
道は大渋滞。。。 なぜならばそんな時でも皆交通ルールを守っていたから。
2人は反対車線を逆走して助かりました。

大船渡の津波のスピードは他の地域より少し遅かったらしい。
津波を見た人が車を捨て、他の車にもそれを教えながら逃げたそうです。
車を捨てて逃げた人は助かりました。すぐそこに高台がありましたから。

















廃車置き場。  いつまで置いておくんでしょうかね。

 
































ナビゲーダーは言います。「この先に踏み切りがあります。注意してください」
しかし・・・その線路は寸断されてありません。

















盛駅(さかり えき)に汽車はきませんが、人の集う場所として機能しています。
津波はホームの60センチ下まできたそうです。
来春には一部再開するらしい

















あそこに見える汽車は震災後みんなで駅まで押してきたそうです。今は時々イベントで使ってるそうです。

















支援物資が駅のホームにあります。
震災後に余った物資をここに並べて置いてあるのです。 譲渡会で圧倒されて手を出せなかった人も、ここではゆっくり選ぶことができたようです。 今も被災者の人は持って帰ってもいいのです。

















大船渡は主要部の半分くらいは津波の被害からはまぬかれたみたいです。
仮設店舗で営業再開している方々も多いです。
だから譲渡会みたいなものは、お店の妨害にもなる可能性があるので、ここではこれからはないかな。

















仮設の商店街です。

もし時間があったら、どこの被災地でも良いので、行って、見て、何かを感じて欲しいと思います。
どこにも美味しいものがあります。
そこで、ご飯を食べて、ガソリン詰めて、お土産でも買ってもらえたら、それが支援に繋がります。

































行かないと感じられないものが沢山あるのよね。

ぜひ行ってください。

関連記事